2020年04月29日

英語の学習

悪魔と深海との間に。
Between the devil and the deep sea.

(迷言集)
芸術は馬鹿につける薬である。(ピカビア)

取り返しのつかない大きな失敗をしたくないなら、早い段階での失敗を恐れてはならない。
失敗するのは悪いことだと思ってしまいがちですよね。
しかし、失敗したと言うのは何かに挑戦した証でもあります。
挑戦しないことには失敗も成功もありません。
小さな失敗を重ねたとしても、あきらめずに挑戦し続ければ、やがて大きな成功が待っている。
失敗を恐れて挑戦しないことこそが、本当の意味での「失敗」ではないでしょうか。(ひでき)

困難な事は全て、扱うことができ、解決が必要な部分へと分割せよ。
一見困難に見えることでも、細かく分割して一つずつ対処していけば解決できる場合が多い。
大きな目標でも細かく分割していくことでやるべきことが明確になり、成功に近づける。
(でかxx)

そう簡単なものなど何もないものだが、あなたがそれを渋々やる限り、それは困難なものになる。
何事においても、嫌だなと思いながらしぶしぶやっていては、望むような結果を得るのは難しいです。
同じやるなら、自ら進んで取り組んだほうがきっと良い結果が得られる。
「好きこそ物の上手なれ」という言葉もあるように、楽しみながら積極的に取り組むことが成功への近道。(ピタxxx)

否定しても矛盾に陥らない真理を、「事実の真理」と呼ぶ。
否定すると矛盾に陥る真理を「理性(永遠)の真理」と呼ぶ。
「理性(永遠)の真理」は必然的であって、その逆は不可能だ。
「事実の真理」は偶然的で、その逆も可能だ。(ごっとふりーと)

真理は人間が勝手に生み出したもの。
真理とは都合の良いように拡大解釈したものだ。
見る位置によってものの見え方が異なることもあるように、すべての価値は個人の解釈に委ねられる。
真理こそ捏造された価値の1つだ。(ふりーどりひ)

初めからあらゆる思い込みを捨てて、全てをあるがままに受け入れる方が良い。
そもそも私たち人間に絶対の真実を掴めると言う保証は無い以上、心の乱れの原因となる判断ないし予断を全て停止して、まずは心の平静を保つことを心がけよ。
懐疑論者も独断論者と同じ決めつけに過ぎない。(モンテxxx)

ニュートンやガリレオは、私たちが想像するような目的意識、例えば豊かな社会と自然環境を実現しようといった関心を持って研究したわけでありません。
当然、彼らも皆熱心なキリスト教信者でした。
神が創造した以上、この世にはしかるべき秩序があるはずだ、その秩序=自然法則を読み解く事は、そのまま神の創造行為の素晴らしさを実証する行為となる。
このように彼らは皆、キリスト教の真理を証示すべく研究に邁進したのです。(けん)

あらゆる科学理論は反証される可能性を持つ。
反証可能性を持たない理論はそもそも科学ではありえない。
その意味で、精神分析もマルクス主義も疑似科学だ。
科学理論は「まだ反証されてない真理」とみなす反証可能性理論。
科学的事実とは、あくまでも「暫定的な真理」なのだ。
反証可能性のある理論こそ科学であり、すべては「暫定的な真理」に過ぎない。(ぽぱー)

(名言集)
本当に自信のある人間は、いつも落ち着いていて他人が自分をどのように評価するか、などと言う他人の意見はあまり気にしないものである。(ヴぉーヴなるぐ)

(日常英語)
たった今
Just now.

ほんのちょっと前。
Moments ago.

さっき。
Earlier.

(語源英語)
fa、fes=話す

ous=~な

fate=運命

ble=された

iry=場所

in=でない

ant=人







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2020年04月26日

英語の学習

前門の虎、後門の狼。
(1つの災難をようやく逃れてほっとする間もなく、また新たな災難に見舞われること。)
A precipice in front, a wolf behind.
(プ・レスィピス=絶壁、崖、危機)

(迷言集)
絵を買うのはそれが気にいったからではない。
絵を買ったからそれを好きになるのだ。(フェードー)

よく言うことなんだけれど、非常に楽観的な人が科学に向いています。
色々と難しいことがあっても簡単に滅いらない人、あきらめない人、それから優先順位がしっかりしていること。
これは重要です。
科学には、失敗がつきものです。
失敗するたびにいちいち落ち込んでいては、成功にはたどり着けない。
多くの偉大な発見や発明も、数え切れない位の失敗の上に成り立っています。
失敗を後ろ向きにとらえるのではなく、成功のためのステップだと前向きにとらえることが大切。
また、やるべきことに優先順位をつけて、優先度の高いものから取り組んでいくことも大切です。(すすむ)

チャンスと言うものは、準備を終えた者だけに微笑んでくれる。
何もせずただチャンスを待っているだけでは、なかなかチャンスは訪れません。
また、たとえチャンスが来ても、自分自身にそのチャンスをものにするだけの力がなければ、結局チャンスを逃しまう。
チャンスをただ待つのではなく、しっかり準備をした上で自分から掴みに行くと言う姿勢が重要。(まり)

どうして自分を責めるのですか?
他人がちゃんと必要な時に責めてくれるんだからいいじゃないですか。
反省をすることは大切ですが、過ぎたことをいつまでも振りかえって後悔するのは建設的ではありません。
失敗したからといって自分を責めるのではなく、改善策を見つけて失敗を次に生かせば良いだけです。
自分を責めても良い結果は得られません。
むしろ自信を失って逆効果になるだけ。(あるべると)

私たちの知る行為すなわち認識は「感性」と「悟性」との協働によって可能となる。
感性とは平たく言えば五官であり、外部情報の入力を担当する。
一方、「悟性」とは感性からの情報を整理し組み立てて、何を認識しているかを私たちに教える能力。
人間の認識している世界と世界そのものの姿は異なる。
真理はここのものとは区別されねばならない。
生き物の感覚能力には種ごとに差があり、それぞれの生き物が認識できる世界が異なる。
「悟性」についても事情は同じだ。
人間は自分の認識能力(感性+悟性)に応じた世界を認識し、その中で生きている。
そうなると、私たちが認識する世界の姿は、他の生き物には当てはまらないことになる。
つまり、世界自体の姿と言う真理は決して手の届かないものなのだ。
誰にも真理それ自体は認識しえない。
本当の世界を知ることはできない。(かんx)

私たちのあらゆる営みは言語に拘束されている。(ウォーフ)

言語こそが私たちの世界認識の土台だ。(ソシュール)

言語はいわば世界を映す鏡だ。
鏡に傷や曇りがあれば、ものが正しく映らない。
同様に、言語も歪みや曖昧さがあったら、世界の姿は正しく伝えてはくれない。
そもそも正しい知識を認識できるかが問題になるからだ。
真理の認識を司る言語の分析へと大きく舵を切ったのが、20世紀初頭にウィーンで誕生した論理実証主義者たちだ。
そこでは日常言語の曖昧さが問題視され、世界を写しとる鏡となるべき「科学言語」が磨き上げられた。
検証不能な形而上学は無意味だとして検証可能な科学を重んじ、哲学者の任務は言語分析にあるとした。
言葉は心の鏡。
正しく使うようにしよう。(うぃとげんしゅたいん)

真理を1言で定義するなら「いつでもどこでも誰にでも何に対しても当てはまること」と言う事。
しかし、そんなものがこの世にあるのでしょうか。
しかも、何事かが「これこそ真理」だと主張されたときに、その内容が本当に真理なのか、つまり定義通りの妥当性を持つのかを、誰が判定するのでしょうか。
確かなものが何もないと言うことになると、真偽を決することも善し悪しを断じることもできなくなり、結果として、誰が何をしても批判できない、何でもありの世界になってしまう。
真理はあると断言することも、真理などないとはぐらかすことも同様に問題なのだ。
こうして、どちらとも決めかねると言う自己矛盾に陥ってしまうわけです。
(これを二律背反といいます)
実体は存在しないのに思考が存在する状態を「偽」とする。
そうすると「神」もまた「偽」となってしまうので、中世の哲学者は「神の存在証明」に躍起となった。
思考と存在の真偽が一致する場合には、それを「真理」だと判断する考え方が「真理の対応説」である。
実在するからこそ真実になる。(ありすxxxx)

(名言集)
世界中の人が自分を称賛しても、私は1人静かに満足して座っている。
世界中の人が私を見捨てても、同じように私は1人静かに座ってるだろう。(ホイットマン)

(日常英語)
そんなに悪くは無い。
Not too bad.

それなりに。
Fairly good.
(フェアリー=まぁまぁ、まずまず)

なかなか。
Pretty good.
(プリティー=かなり、すごく、とても)

結構。
Rather good.








posted by きょんちゃん at 11:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月23日

英語の学習

自分の損害よりも隣人の損害によって賢くなれ。
Better learn from your neighbour’s scathe than your own.
(スケイズ、スケイス=[古語]害、損傷)

(迷言集)
なんと多くの俳優が、才能が全くないために自然に見えることだろう。(ジュール)

日本の哲学者、九鬼周造は、幼少期に母親が、思想家であり美術評論家の岡倉天心と駆け落ちしたことが、九鬼の思想に大きく影響している。
日本文化のかっこよさは、海外の人たちにとっては合理主義だけでは理解できない二元性や曖昧さにある。(おがわ)

道具を使うはずの人間が、逆にあたかも道具のように交換可能、代理可能なら誰でも良い存在になってしまう。
交換可能なあり方は非本来的である。
人間は交換不可能である。
他方で人間は死すべき存在である。
その死を先駆的に覚悟して生きるべし。
人は死へと向かう存在なのだから。
つまり、死を肯定的に受け止め、懸命に生きる。
人間が社会と関わりを持って生きざるを得ない。(はいxxx)

自由こそが最終目標。
現に、国家の目標も自由の実現であるとされているし、また歴史の目的も自由を実現することであるとされている。
個々人の想いが共同体の中で実現されて、両者が一体となって作用することで、自由と言う目的を叶える。(へーxx)

すべてが自分とは無関係に存在している。
他者と言う自分とは異なる存在を常に意識する。
苦しいのは自分だけじゃない。
みんな頑張っている。
頑張ってる他者の「顔」に着眼する。(レヴィナス)

物の交換とは、実は物同士の関係ではなく、所有主体としての個人が相互に承認し合うと言う意味を持つのだ。
他者を承認することで和解が生まれる。
相互承認は、人間関係の基礎だ。
人間はお互いを認め合うことで初めて協働できる。
大事なのは、そのためにいちど闘争を経る必要がある。
喧嘩して初めて固い友情が生まれるように、ビジネスにおける真のパートナーシップも、いちどは切った張ったの激しい交渉プロセスを経る必要がある。(コジェーヴ)

子供は、いつまでも母親と癒着してはいられず、父親による去勢を受ける。
言葉の世界に組み込まれる時、人はようやく主体となる。
ただ、自分が生まれ持ったものではない言語と言うものを使っていかなければならないと言う点で、主体は決して完全な存在ではなく欠如を抱えている。
言語は現実のすべてを覆い尽くすことができず、亀裂を内包している。
その亀裂の向こう側に、言語を介するだけでは把握できない「現実界」(決して触れられない)世界がある。(らかん)

弱者は実際には強者に叶わないことから、想像上で復讐しようとする。
強者は一般的に自らを良いものと評価する。
それに対して弱者は自らを悪いものと評価してしまう。
このような決めつけに対して、当然弱者は不満を持つ。
そして強者を憎むだろう。
しかし、弱者には力がないため、実際に強者に楯突いて関係を逆転させることができない。
そこで弱者は自ら良いものと思い込むようにする。
楯つかないのは、自分たちが善良だからだ。
臆病なのは謙虚であって、服従は恭順なのだと言い聞かせる。
これこそがキリスト教の道徳だ。
もう神に頼って負け惜しみを言いながら生きるのはやめよう。
自分の基準で強く生きる。
人がどういおうと、自分の基準で善悪や真偽を判断すればいい。
人間を超える、同時に自分を超えていく。
負け惜しみを行っている限り、強く生きることができない。(ふりーどりひ)

人間にとって最善の事は生まれなかったこと、次善のことはまもなく死ぬこと。(れしのす)

世界には苦しみが生じざるを得ず、そこから逃れるには哲学によって意志の否定を実現するより他は無い。
生への意志は、根拠も目的もない盲目的な意志であるため、人間とっては際限のないものとなる。
だから人間の欲求はいつまでも満たされることがなく、生は苦痛に満ちたものとなるのだ。
芸術は、人間から主観とか客観という要素を取り除き、人間を意志の欲望の全ての苦痛から解放した解脱の立場へと高める。
ところが問題は、芸術による解脱は、稀にしか生じない1時的なものだという点である。
根本的には「生への意志」そのものを否定するしか道はない。
苦痛から逃れることを可能にするのは、「禁欲」をおいて他にない。
この意思の諦め、禁欲的否定こそが、苦悩からの決定的解放を可能にするのだ。(あるとぅる)

自分で人生を切り開いていくべきだ。
人間は自らを作り、変えていける存在である。
人間の存在を重視し、自分で人生を切り開いていくべきだ。
第二次世界大戦によって破壊された世界が、新しい価値観と新しい社会を構築するため、その推進力となる思想を求めていた。
存在するものではなく、どう存在するかである。
実存は本質に先立つ。
人間はあらかじめ決められた運命に従う存在ではなく、自らを作り、変えていける存在だ。
人間は自分の行動を自由に選択できる反面、その選択に責任を負わなければならない。
人間は自由の刑に処されている。
どんな行動してもそれに責任を負わなければならないのなら、自ら納得するよう積極的に行動した方が良い。
積極的に社会に関わり、歴史を意味づける自由な主体として生きる。
世の中には自分の前に立ちふさがる壁がたくさんあるが、人間にはむしろ社会の方を変えていくと言う選択肢もある。
問い続けることであり、関わり続けることである。
逃げることも自由な選択だ。(きるけxxx、さるxx)

オリジナルだけが持つ貴重さ。
もともと芸術作品は宗教的な儀礼の道具であった。
それが宗教の力が弱まるにつれて芸術の対象になっていった。
そうなると、礼拝価値よりも展示価値の方が重要になってくる。
そのものが持つ表面的な姿を超えた雰囲気、その超えたものを人は感じたいのである。
誰もふりむかないようなものでも、自分が良いと思ったものは、オーラを纏わせられる可能性もある。
それは2番煎じになってはならない。
最初の発見者であることが大切である。(ヴぁるたー)

倫理とは社会における人々の間の取り決めのようなもので、社会が変われば内容も変わってくる。
だから常に根底から問い直す姿勢が必要なのだ。
倫理とは社会における常識を前提にしてる部分が大きい。
何が正しいかは常識に委ねられているからである。
しかし、AIを始めとした新しいテクノロジーの登場によって、常識が大きく変わろうとしている今、倫理の中身そのものが問い直される必要がある。(むーあ)

企業が哲学者に求めるものは、斬新な問いの投げかけや、本質に遡った問題解決である。
ビジネス常識を疑う訓練、視点を変えて自分の仕事を見つめ直す訓練、そして問題を本質からとらえる訓練をを行う。(おがわ)

(名言集)
「許す事はできるが、忘れることができないと」言うのは、結局、「許す事はできない」と言うのと同じことだ。(ビーチャー)

(日常英語)
曖昧な評価
Halfway decision and opinions.

まあまあ
So so.

そこそこ
Not bad.

いまいち。
Not quite.

(語源英語)
fect=作る、する

per=通して、完全に

a(f)=~の方へ

e(f)=外へ

de=~でない









posted by きょんちゃん at 06:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする